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2023

  2023年あけましておめでとうございます。今年はどんな一年になるのでしょうか…… 2023年が終わろうとしている。今年はずっとブログを更新できなかった。振り返ってみると今年は辛く長く色々なことがあったが、良い一年だった。 今年でD3になり、年始から少しずつポスドク就活を考えなければならなかった。しかし、あまりにも先が見えない。ポストに就くまでの過程は人それぞれで、人に聞いてみてもよく分からないし、聞ける人もあまりいない。それまでの4年間の大学院生活は研究に捧げてきたと言っても過言ではなく、実際に成果も挙げつつあったが、客観的に見て評価できる指標、すなわち論文数ではたったの1本しかなかった。その1本はそれなりのボリュームがあって引用もされているが、そんなことは審査の上では関係ない。4月くらいに学振PDと海外学振の申請書を書くときに、その現実に直面しなければならなかった。 この頃から少しずつ毎日辛くなってきた。休みを取った方がいいと思った。ゴールデンウィークはずっと家にいて何もせずに過ごした。それでも結局仕事をして結果を出さないと状況は変わらない。それで大学に行って頑張っても結局なかなか結果が出ない。一度休むことを覚えてしまうと、頑張る気力が出ない。そうは言っても、論文にできる結果が出ないなりに試行錯誤した結果は出せるものだから、周りと比べると順調に進んでいるように見えてしまう。同僚の面倒を見て問題解決に付き合うが、僕の面倒を見てくれる人はいない。 僕は人に頼るのが苦手なので、ずっと一人で抱え込んでなんとかしようとしてきた。でも、しんどくてこのままではいけないと思ったので、人との出会いに縋ることにした。マッチングアプリは敬遠していたが、出会い方にこだわってもしょうがないと思ったので、9月くらいにアプリを始めた。ここらへんの詳細は省くが1回目に非常に気が合う人に会ってしまったのでその人と交際を続けている。出会いがあって本当に良かった。あと少し先だったら、あるいは後だったら出会えなかったとしたら、これまで悩んできた日々がこの出会いのためだったとしたら、これまでの人生がやっと肯定されたような気がした。 大学院でどのようなスタイルで研究をするのが正解なのか、正解などないのだろうが、それでも考えてしまう。僕は5年間かけて一つ大き

一応更新

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  ブログ更新を催促されていたのに遅くなってしまった。なんだかんだあって(無料公開のONE PIECEを読む等)時間が取れなかった。8/1-12 に韓国出張、8/15-23にアメリカ出張があって書く時間がないので、ちょっとだけ更新しておく。 3月ごろにカメラを買った。sony の RX0 IIだ。手のひらに乗るサイズで1インチセンサー搭載のデジカメで、ポケットに入れて気軽に持ち運べる。 先々週には砥峰高原に行ってきた。高原はさぞ涼しかろうと思って行ったのだが、この高原は高度800m 程度とそこまで高くなく、周りを山に囲まれているので、蒸し暑かった。

記録

  あけましておめでとうございます。 しばらく論文を書いていて、なかなかブログを書く気が起こらなかったので、半年ぶりの更新となってしまった。論文は元日にようやく投稿できたので、ブログも再開します。 研究結果を論文としてまとめるためには、研究の記録を取っておく必要があるが、こまめに記録をつける習慣がなかなか身につかない。Git や Dropbox 等を使うことで自動的にログが残るようにしているのだが、後から見直せるように情報をまとめてはいないので、読み返すのには苦労する。記録を付ける手間を惜しまない方が、長い目で見れば楽になるのだろうとは思う。 そもそも研究以外の日常生活から、記録を付ける習慣がないことは何度か話題にしたことがあると思う。ご飯を食べに行ったときに、出てきた料理を見て箸を取って食べようとするかスマホを取って写真を撮ろうとするかの違いを認識させられるたびに、記録を付けることの意味を考える。 料理とか風景の写真は、わざわざ自分で撮らなくても、同じようなものがインターネット上にあるので見直したくなったら探せばよいと思っているのだが、多分大切なのは、経験したことをカメラロールの中に時系列データとして残すことなのだろう。そう気づいてからは意識して写真を撮るようにはしているが、カメラロールを見てみると、月に一回写真を撮る日がある程度なので、まだ習慣づけられてはいてはいないようだ。

たんあり

  「たんあり」とは僕が考えた「たんおめ(誕生日おめでとう)」に対する返答であり、「ありがとう」の意である。特定の文の省略形というわけではなく、なんとなく意味が分かるけど分からなくて面白いから使っている。 誕生日が過ぎて25歳になった。25年前に生まれた時は、まさか25歳になるとは思わなかったのに 1 、時が過ぎて25歳になったのである。25歳はアラサーと呼ばれるらしい 2 。30と言うと、まあまあ生きたなあと感じる。四半世紀を生きた感想やこれまでの人生に点数をつけるなら何点か、を聞かれたことがあったので、それらについて考えたい。 25歳になった率直な感想を一言でいうと、そうですか、になる。普段から年齢を意識することは無いし、生きていれば歳を取るのは当然なので 3 。25年間を振り返ってみても、昔の自分は今の自分とは違うので今の自分では25年間生きた感覚がしない。 自分の人生に点数を付けると何点か、というのはよくある話題である。これは問題をどう解釈するかで答えが変わってくるので、2通りの解釈で答えてみたい。1つ目は、問題をこれまでの人生に対する評価と解釈する場合で、問題を言い換えると、いま死んだとして人生に何点を付けるか、ということになる。これは30点くらいである。加点要素は、精神的経済的に自立できたこと、人間関係に恵まれたこと 4 などが挙げられる。第一の減点要素は、客観的に見た時に僕の人生での最大の成功が東大合格となってしまっていることである。大学合格は通過地点であるべきなのに、そこを未だに越えられずにいることにもどかしさを感じ続けている。第二の減点要素は研究をしているのにまだ論文を出版できていないことである。研究しているのに論文を出版せずに死ぬわけにはいかない。研究成果を挙げて論文を出版することは、大学合格を越えていくのにも必要である。第三の減点要素は、自分自身をまだ理解できていないことである。人間の思考感情がどのようにして生まれるのかは、仕事でやっている 5 研究以外で特に興味を持っているテーマで、日頃の思考を振り返ったり、こうやってブログを書いて言語化することで自分を理解しようとしている。あとしばらく生きて経験を蓄積しないとより良い理解には到達できないだろうと思う。この点数が70点くらいになるまでは死にたくないと思っている。

GW

  ゴールデンウイークは半分くらい寝て過ごした。 このブログはレンタルサーバー value server に wordpress を入れて運営している。レンタルサーバーとか wordpress とか利用してみたかったから現在の形態になっているのだが、ブログをやるだけなら他のサービスを利用する方が安いし楽だし安全なので乗り換えを検討している。ブログとは別にホームページを作って情報をまとめたいと思っていたのだが、いつまでたっても進まないし、もう今後進むことも無いのだろうと思う。僕は情報を取り入れるのは好きだが、それをまとめたり公開することには興味が無いらしい。写真をほとんど撮らないというのはその一例で、自分の目で見たものをわざわざ写真として残してまとめる習慣が無い。とは言え記憶には限界があるし、今ブログを書いているように、形として残すことも大事だとは思っているので、気が向いたら写真は撮ろうとは思っている。 最近は、組織が安定して存続するために自分はどのような貢献ができるのだろうか、ということを考えている。これまで所属してきた部活サークルはどれも、自分が所属していた頃には活気があったが引退後に消滅したり弱体化してしまったような気がする。もちろん、思い出補正がかかっていて僕が勝手にそう思っているだけで、客観的に見れば何ということも無かったのかもしれない。ただ先日、親の扶養から外れて経済的にも独立するという時に両親が離婚すると言い出したものだから、どうして僕が思い入れを持って所属してきた集団はこうも同じような道を辿るのだろうかと思ってしまった。家族とサークルとを同列に語るのは無理があるかもしれないけど。 ともかく、そう思って今所属している研究室のことを考えてみると、少し不安になってしまう。僕のグループでは主に数値シミュレーションを使って研究を進めているので、シミュレーションを実行できなければ研究を進めることができない。シミュレーション環境の準備、コードの編集、コンパイル、実行の過程で人は必ずミスを犯しエラーに遭遇する。研究グループの中で僕は、そういったエラーを自力で解決できなかった時の受け皿になってしまっているので、卒業までにこの役割を誰かに引き継がなければいけないかなと思っている。文書として残すという方法もあって、実際いくつか書いたけれど、ツ

修論

  最近は修論を書いていた。 修論は思っていたよりも辛かった。今年度は研究が思ったように進まず、当初の予定を達成できなかったので、未完成の研究を修論としてまとめなければならなかったからである。僕は博士課程に進学するので、修論の完成度を上げることよりも研究を進める方を優先したのだが、そのせいで修論の完成が遅くなってしまい、色々とごたごたした。どうせ未完成ならばもっと前に書いてしまえば良かったと今では思っているが、研究を進めることを優先した当時の選択には後悔していない。今年度の研究が思ったように進まなかった時点でこのようにならざるを得なかったのだと納得している。 二十歳を過ぎたあたりから物事の判断基準が安定してきたので、過去の選択に対して後悔することがほとんど無くなってきた。自分の選択に納得できるのは良いことだと思うが、納得して現実を受け入れるのはストレスがかかる。

初心

  この記事は10月初旬に書き始めていたが、話がまとまらなかったので2か月ぶりの更新になってしまった。 研究生活3年目になった。これまでの2年間で4つの研究テーマに取り組んできて、それぞれでまあまあの成果を上げてきたと思う。研究成果をまとめて投稿論文、修士論文を書いていきたいのだが、あと一歩のところで躓いている状態にある。論文出せそうだと言われながらも、なかなか結果を出せずにいるのがもどかしく、若干焦る気持ちもあった。 少し休んで振り返ってみて、最近の自分は論文のための結果を出すことを考えるあまり、物理をじっくり議論出来ていなかったと気づいた。2年前、卒業研究を始めるにあたって、当時の指導教員は物理を楽しみましょうと言ってくださった。研究する以上は結果を出していかねばならないが、物理を楽しむ気持ちは忘れないようにしたい。 学振DC1に通りました。今後も精進してまいります。